2015年06月26日

「追い詰められる中高年」について・・・

2010年08月16日
大和魂を語る・・・終戦記念日に思うこと


「 追い詰められる中高年」について。
★「追い詰められる中高年」について今更ながらと思いますが、混沌とした世に悩む人々の
増加も事実です。この文章は今から10年前の、小泉内閣発足当時です・・・あれから15年
経ちました。
★本当に居場所の無いのは、中高年だけだろうか?
生きる確たる目標もなく、ゲームに明け暮れる子供たちは、学生はどうだろうか。
 昔、私達の時代は、軍国主義の基、家庭も、社会も、国家も、戦争の悪夢の中にいた。然し、國のために生きる自覚があった。戦後、大きな反動と、個人の民主化路線の中で生きる目標は揺らいだ。青年将校は、愚連隊に落ち、若い女性たちは、夜の町に散った。そんな、見ず知らずの女性の一人に声をかけ、自宅に戻るよう家まで送ったこともあった。「こんな女に誰がした」の歌の流れる中で・・・。

★かって、特攻隊戦士だった溌剌とした若者も、一夜にして生きる目標を見失い、苦しい人生を生きた。表題に有るように、中高年に絞れば、それは経済を中心にしたお金中心の社会を意識せざるを得ない。然し、本当に、「追い詰められる」のは、物や、お金ではない、平和な家庭に、老いてゆく、定年を迎え十分な退職金を貰ったような人々でも、物や、金、そして家も有る人達の自殺は何か???。
 それは「生き甲斐」で有ると思う。真に、生き甲斐を持った人生には、夢も、希望も、生きる力も沸き出ずるものだ。 前向きの人生を強く希望します。

★私は、常々考える、かっての特攻隊員の青年将校も、唯ただ、天皇のためと、死を恐れず、笑って戦場に発った者ばかりではない。俺は、何のために死んでゆくのか、出陣するのかを、真剣に仲間と語り合った若者も多くいたと聞く。見方を変えたら自殺行為ともいえる。自殺ではない、立派に國のために役立つと信じて尊い自らの命を捧げた。真に、勇気有る軍人として、永遠にその魂を奉るのは、今、生きている吾々の責任でもある、彼らの尊い命を無駄にしない為の国造りが問われる。
★人は自ら、いのちを絶つと決意し、死を選択し実行しても、生きて、生きて生きたい願望の中で苦悩する。だから、ガス管を口にくわえても、いのち絶えるまで生きたいと念ずるものだと思う。こうした、「死」を無駄にしないための社会が「文化」だと思う。
人は、争いの中、欲望の中でうごめく。
 昔、「40才の自分の顔に責任を持て」と聞かされた、親から貰った「顔」ではない其処には自分自身の歩みがあり、「顔」の相がある。
安易な、「死」を選ばせないためにも、國として、社会として、家庭人として正しい文化を育てたいものです。
★先日、テレビドラマの中の神父さん「聖書」引用   「貧乏は、人生の大学なり」と、地べたを這いずるくらいの艱難辛苦から光の射すときもあるのが人の世か・・・
「リストラ」や失職に負けない人生をお互い生き抜こう。
★毎年のように、8月の頃になると年々その実体が明かされ、軍国主義一色に日本中が盲目の社会に生きた時代からの反省と、事実を知る事の大切さを日々痛感しています。
小生も、15歳の少年兵として予科練に合格、次々と入隊場所の変更通知の末終戦をむかえ既に85歳の高齢者の仲間入りをする年になりました。
★今日、戦争体験の全くない人々の数が格段と増加する中で、戦争の是非よりも未だに闘いの渦中に有る国々のいかに多く、そして不幸の真っ直中にいて自ら抜け出ることのできない人々のことを真剣に考えなくてはならないと思います。
戦争の悲惨さは語るまでもないことですが・・・
斯うしたことが戦争体験のない若者にすることは「正しい教育」しかないと考えます・・・
現代社会は、経済主導により謂わばモノの豊かさが全てのごとく言われていることに対しての根本的志向性の変換とその認識の改善にこそ道有りと考えるモノです。
そして正しい愛国心を持ち、国歌を愛し、国旗、日の丸を日本の象徴として正しく生きる国民性を文化としてゆきたい。

★基本的には、親子仲良く、円満な家庭にこそ国づくりの原点ありと思う。
              江尻のまっこちゃん  
この世に誕生したばかりの純真さを願う男 85歳
 タグ :少年航空兵・予科練習生特攻隊・霞ヶ浦航空隊・大和魂・吉田松陰・幕末の志士の志



Posted by 江尻のまっこちゃん at 22:22│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
「追い詰められる中高年」について・・・
    コメント(0)